「幸せとは」―ふと思ったこと

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こんにちは、ご無沙汰しております。ブログ更新をお休みしていたアメンボです。生きるのもお休みしていました(←えっ?)。4月が間もなく終わります。一部の人たちはすでに黄金週間(ゴールデンウィーク)に突入し、余暇を楽しんでいる学生、社会人もいるのではないでしょうか。わたくし、アメンボは、、、、まだ休みに入ってません。大学の変則的なスケジュールのせいで(おかげで)、明日まで授業があった後は、5連休が控えているのです。

まぁ、さて、前置きはこのぐらいにしておいて、今日は「幸せ」について考えてみましょう(←なんかの授業かっ!)。幸せとはなんでしょうか。まぁ人それぞれ定義があると思います。正直言って自分は幸せではないと考えていました(過去形(現在形含む))。まぁというのは、あまり経済的に余裕がなく、大学も第一志望の大学ではなく、奨学金も借りてるし、アルバイトもしなければいけないし、将来の進路が未定で、まぁあげればきりがないのです。

でもですね、昨日、ふと思ったんです。「欲しいものがすべて手に入り、やりたいことがすべてできる人は幸せではない」と。まぁそれは実際にそのような状況になってみないとわからないかもしれませんが、少なくとも現時点では自分はそう思います。逆の言い方をすれば「欲しいものがすべて入らず、やりたいことがすべてできないが、欲しいものの一部、やりたいことの一部ができる人は幸せである」ということです。

考えてみてください。欲しいものがすべて手に入るほどの経済力があり、やりたいことがすべてできるほどの時間と能力があったとしたら。あなたはどのような生活を送るでしょうか?きっと「本当に欲しかったもの」「本当にやりたかったこと」以外のものを手に入れたり、無駄なことに時間を費やしてしまうこともあるでしょう。

でも逆に、欲しいものはたくさんあり、やりたいことはたくさんあるけれど、それら“すべて”を手に入れる、やり遂げるお金、時間、能力がなかったとしたら。※すべては無理ですが、一部は可能です。

そのような状況の時、人は自ずと物事に優先順位をつけ、本当に必要なもののみを残し、欲しいけれど優先順位の低いものをあきらめるのだと思います。そして、その優先順位をつける際に深く考え、決断を下すことで、本当に必要なもののみが残り、無駄(かもしれない)ものを切り捨てることができるのです。そして、そのように深く考えて、決断したからこそ、自分の決定に自信を持ち、ひいては自分自身に自信を持つことができるようになるのだと思います。

もちろん、その無駄(かもしれない)ものを切り捨てるのは大変でしょう。しかし、将来かならず、その決断がよかったと思える日が来ると思います。元AppleのCEOであったSteve Jobs はこのような言葉を残しています。

“You cannot connect the dots looking forward, you can only connect them looking backwards”
人生の様々な出来事、決断は決して将来を見据えてつなぐことはできない。それらは過去を顧みて初めてつながるのである。

しかし、上記の言葉が当てはまるのは、自分が最善を尽くして決断を下したときのみです。では、どのように最善な決断を下すことができるのでしょうか?Steve Jobs は

“I looked in a mirror everyday, and asked my self: ‘If today were the last day of my life, would I want to to what I am about to do.'”
私は毎朝鏡を見て自分に次のような質問をする:「もし今日が人生で最後の日なら、私はこれからしようとしていることをするだろうか」

彼はAppleのCEOに返り咲いてから欲しいものは何でも手に入れることのできる「お金」は手にすることができました。しかし、それでもなお、彼は常に最善の選択、行動をするよう努めていたのです。そのためには、一日一日を人生の最後の日だと思って最善を尽くして生きてきたのです。

彼のように自らを自ら統制し、一日一日を人生最後の日だと思い過ごせれば、常に最善の選択ができるでしょう。しかし、多くの人は(勝手に多くの人にしてしまってすいません:))、自分を含め、自らを統制することができない人がほとんどです。もし、自らを彼のように統制できれば、何らかの分野で大きな成功を収めることができるでしょう。そのような中で、我々が必然的に最善の選択、行動をするよう迫られるのが:「欲しいもの、やりたいことがすべてできるほどの余裕がない場合」なのだと思います。

人間の欲求は限りがありません。しかし、その欲求の一部は「資本主義」という制度によって「作られた欲求」でもあるのです。つまり、人間として生きていくには事足りているにもかかわらず、新しい製品、高級な食品、などなどを欲しがるよう、企業はマーケティングを行ってきます。しかし、一度立ち止まって考えてみてください。それらは本当に必要なものでしょうか?それらを手に入れたとき、あなたは本当に満足するのでしょうか?

多くの場合、答えは「No」であると思います。また、逆に言えば自分の欲しいと思ったものをすべて手に入れることができなくても「満足すること」は可能だと思います。お金があれば、欲しいものをすべて手に入れ、家が購入したものでいっぱいになることもあるでしょう。新しいものをどんどん購入して、まだ使えるものも大事に使わなくなることもあるでしょう。

しかし、それらすべてをかなえることのできる資金を持ち合わせていないとき、人は本当に必要なものを選択し、買ったものを大切に扱うのではないでしょうか。

これは、ものだけではなく、人間関係や人生での選択に関してもいえることだと思います。

>>>>続く

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